経営計画作成合宿にて③

合宿では最終日に、1人5分で立てた計画の発表を行う。

他社も合同だ。

 

この合宿の参加者の人々は、一般的に見るとちょっと変わった人が多い。

ほとんどみんな、人生においてものすごく辛かったことを経験していて、

そこから「自分の人生を生きる」ために楽しんで仕事をしている。

発表からも、その想いがたっぷり伝わってくる。

 

"企業は成長しなければならない"

"利益の最大化に努めなければならない"

"従業員満足度を高め続けなければならない"

よく聞くフレーズで、誰も反論のしようがないこの正論を、

ここでは誰一人口にしない。

「ねばならない」ではなく、けれども「自然にそうしている」。

誰もが純粋に、自分のために・家族のために・お客様のために仕事をしているから、とてもイキイキしているのだ。

 

私はどうだっただろうか。

ずっと「自分のために」生きていると思っていた。

違うな、「思いこもうとしていた」。

本当は、いつだって誰かに評価してほしかった。

褒めてほしかった。認めてほしかった。

 

「誰かの役に立ちたい」と願ったのは、

「役に立っている自分」に安心感を得たかったからだ。

「独立して自活したい」と行動したのは、

「誰かの世話になる」ということから逃げたかったからだ。

自分一人でも大丈夫と認めてほしかったからだ。

どこまでがんばればいいかわからなかったから、

「認められる」結果になるまで黙々とやり続けたのだ。

 

砂漠の土のように、いつまでも満たされない。

自分自身で自分を認めることが、「フリ」はできても、どうしてもできない。

 

自分の発表の番、

「やりたいことの成文化」

というスライドを表示させながら、

生まれて初めて人前で、

泣きながら「認めてほしかった」と言った。

 

「やりたいことをやる」という言葉は、

自分の人生を生きている人にしてみれば

「何を甘えたことを。そんなことで食っていけないだろう」という言葉だ。

でも、他人の評価を頼りに生きてきた私には、

「自分の人生を生きる第一歩」のとんでもない願いだった。

 

誰が何と言おうと、不安なく「やりたい」「やりたくない」が言える。

嫌だという感情を、溜め込まずに処理できる。

自分の人生に自分で責任を持てる。

自分の機嫌で相手を振り回さない。

人を許すことができる。

「嫌われるかもしれない」「仲間外れにされるかもしれない」と怯えながら、和を乱さないようにと立ち振る舞う必要が無くなる。

相手は相手、自分は自分と境界を引くことができるようになる。

恐怖を感じずに「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるようになる。

「借りをつくってはいけない」から解放される。

相手の想いに共感できる。

温かいコミュニケーションを築ける。

 

そんなことができるようになりたい。

子供がお腹にいる実感を経て、先の見えない不安の中で、隠しきれなくなり出てきた願いだ。

我が子に対して「私を認めてほしい」と押しつけるようになど、絶対になりたくない。

 

私の代で終わりにする、必ず。