外に出される
弟が生まれた後。
何歳の頃かは定かではないが、とにかく母から怒られていた記憶しかない頃がある。
何をして怒られたのかは覚えていないが、母の手を煩わせるような事をしたのだろう。
夜によく外に出された。
家の中に入れてもらえる条件は「謝ること」。
父が帰ってくるまで、外で泣き叫んだ。
一向に泣き止まない私に、母は家の中から「うるさい!近所に迷惑でしょう!いつまで泣いているの!」と言った。
幼心に、自分が悪いことをしたことはわかっていた。
でも、自分の言い分を聞いてほしいという気持ちが勝り、一向に謝ることができなかった。
外で泣き疲れているうちに、父が帰ってくる。
「また出されてるのか」と言って、一緒に家に入れてくれる。
早く謝りなさいと言われ、不本意ながら「ごめんなさい」を言い、そこでようやく許される。
私の言い分は聞いてもらえたことはなかった。
私は「ごめんなさい」という言葉が大嫌いになった。
その言葉は、理由を聞き入れてもらえず、敗北を宣言する意味の言葉となった。
その後の人生においても、「いかに『ごめんなさい』を言わずに済むか」が私の最重要テーマとなった。
人を怒らせない、人と深く関わらない、一般的に「良いこと」とされていることをする、まじめでいる。
人生の処世術だった。