「負け」は「精神的な死」

保育園に行くのは好きだった。

家にいるとやはり「母に怒られる」というのがあったのだろう。

毎日楽しくバスに乗って保育園に行っていた。

 

保育園でも、絵本を読んだり、お絵かきをしたり、うさぎ小屋のうさぎに草をあげたり、アヒル小屋のアヒルを見るなど、ひとり又は少数人での遊びが好きだった。

庭では元気な同級生がやはり活発に遊んでいたが、仲間に入って一緒に遊ぶという事は好きではなかった。

 

家でのできごとの積み重ねから、「勝負事に負ける」のが嫌で仕方なかった。

「負け」は言い分を決して聞いてもらえないことを意味する、精神的な「死」のようなものだった。

どんな小さな勝負事でも同じだった。

じゃんけんも、鬼ごっこやかくれんぼの鬼決めも、かけっこの競争も「たかが遊び」と捉えることができなかった。

負けると本当に辛かった。

なんで、世の中に「勝ち負け」があるんだろうと思った。

こんなに辛いことはしたくない。

 

なるべく競争ごとに関わらないようにした。

どうしても関わらざるを得ない場合は、常に「負けても悔しくないし」と、負けに対しあらかじめ心に防衛線を張ることにした。

 

これが、人間関係を構築する上で、深く関わろうとするほどにうまくいかなくなる原因になっている。