「良いこと」と「諦め」
「認められたい」思いがものすごく強い私は、高校生になってからは、誰が見ても"良いこと"に対して積極的に取り組むようになった。
例えば、「面倒事を引き受ける」。
生徒会はその一つだった。選ばれた人だけがやっている感もたまらなかった。
多くの生徒に気づかれない所で、インフラを支える「良いこと」をやっている、という感覚が心を満足させた。
例えば、「自主的に学校玄関の雪かきをする」。
家では朝一歩も動かないのに、学校では自主的に行った。
「皆が転ばないように」と当時はそう思い込むようにしていたが、やはり感謝されたかったし、褒めてもらいたい気持ちからだった。
「学校で中越地震の募金活動を行う」もそうだった。
"正義感"で"褒められたい自分"を上塗りし、必死で見ないようにしていた。
しかし、この「良いことをやっている」思いは、
往々にして「やらない人」に対する攻撃に向かう。
なんでやらないんだ!(褒めてくれないんだ!)
こんなにしてやっているのに!(認めろ!)
その怒りの気持ちを感じることも嫌で、
「そんなことを感じる自分はみっともない」と
さらに感情に蓋をする日々。
辛いことがあった時は自室にこもり、一人でワンワンと泣いた。
そうして、泣き疲れて「諦めた」。
気づいたら、何事においても「自分がすべて悪い」と思いこむことで解決する、という思考が出来上がっていた。