子どもに願うこと
私が親にできなかった反抗を、とにかくしてほしいと思う。
反抗は、安心感があって初めてできるものだ。
どんな言葉を発しても、どんなにひどいことをしても、何事もなかったように受け入れてくれる場所があるから反抗できるのだ。
高校生の頃、母に
「お母さんみたいに、地元にずっといるとかしたくない!お母さんみたいになりたくない!」と言ったことがあった。
思えば唯一の反抗の文言だったと思う。
しかしその後母は、直接だったか手紙だったかは忘れたけれど、
「そんなことを言われて悲しかった」
と伝えてきた。
「今まで散々尽くしてくれた母に、とんでもないことを言ってしまった」という罪悪感だけが私の中に根深く残り、"母を悲しませてはいけない"というトラウマとなってしまった。
子どもが、「お母さんなんて大嫌い!」と言うことはおかしなことではない。
感情をうまく表現できなかったり、言葉が足りない中自分の気持ちをめいっぱい伝えようとして出てきた表現に過ぎず、本心からではない。
言っている本人だって、混乱した気持ちを分かってほしいという辛さでいっぱいなのだ。
それを自分都合で解釈し、「悲しかった」と伝えることは、なんて残酷なのだろうか。
親の「わかってほしい」は親自身で解決してほしい。
子どもに「わかってほしい」を押し付けないでほしい。
「わかってほしい」のは子ども自身なのだ。
私は、十分に反抗ができなかった。
2~3歳の頃は怒られ、外に出され、恐怖を植え付けられ、
中高生の頃はそのトラウマから反抗の芽が出ることを自分で押さえつけ、人に相談することなく自分自身で感情の処理をしていた。
今、親になろうとしている中で、「母のようにはなりたくない」と改めて思い、子どもには大いに反抗できる状態にしたいと願っている。
私は子どもをいつでも抱きしめることができるだろうか?
「そうかそうか、そうだったのね」と落ち着くまで撫でてあげることができるだろうか?
怒られて泣いていた自分を投影してイライラすることをやめることができるだろうか?
今はまだ不安で仕方ないが、こう思ったことだけは記録として残したいと思う。